2011年5月1日日曜日

「時」の中身

今日は新約聖書のマタイによる福音書16章1-4節から、「時のしるし」と題して野本先生が説教をして下さいました。「時のしるし」という題の通り、「時」と「しるし」が今日の説教のキーワードです。
「時」について先生がお話して下さったことを少しご紹介させて頂きます。↓


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ギリシャ語には「時」を表す単語が次の三つあります。


クロノス(χρόνος/chronos):何年何月、何時何分というような流れて行く時間
カイロス(καιρός/kairos):運命、あるいは神の意志によって決められた時間
ホーラ(ὥρα/hora):時間の流れの中での具体的な「ある時」のこと


新約聖書の中にはカイロスは85回、クロノスは54回、ホーラは106回出てきます。
けれども、もちろん重要なのはカイロスという「時」の理解です。
カイロスは古典ギリシャ語では「適切な基準」という意味で用いられており、時間だけではなくて、場所についても「適切な地点・ポイント」という意味を表す単語です。
時に関してはタイミング、チャンス、オポチュニティー(opportunity=機会)というように訳されます。また、好機、危機など、決断や行動を促されるような「時」のこともカイロスと呼んでいます。


説教を語る野本先生
実は、カイロスの元になっている「時」という概念は旧約聖書からきています。
ヘブライ語では「エート(עֵת/'eth)」という言葉です。
イエス・キリストも旧約を当時の聖書として読んでいたわけですから、新約聖書に訳されているイエスの言葉、あるいは物の考え方はみんな旧約聖書の理解に基づいています。
ですから、新約聖書のカイロスというギリシャ語も旧約聖書でどういうふうに「時」というものを考えているのか、ということを踏まえて、その意味で理解をしていくことが大切なのです。


それでは旧約聖書は「時」というものをどういうふうに理解しているのでしょうか。それが簡単に分かる旧約聖書の箇所を一つだけ紹介したいと思います。
コヘレトの言葉の3章の1節以下に出てきます。


1:何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。


この「定められた時」と意訳をされているのが、実はエートという旧約聖書のヘブライ語の言葉であり、これがギリシャ語のカイロスと訳されて新約聖書に受け継がれているのです。


そしてこういうふうに天の下にある「時」というものがどういう「時」なのか、ということが2節以下で次のように書かれています。


2:生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時
3:殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時
4:泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時
5:石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時
6:求める時、失う時/保つ時、放つ時
7:裂く時、縫う時/黙る時、語る時
8:愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。


―――こういうふうに「時」の中身が書かれているわけです。
これを読みますと、イスラエルの人たち、旧約聖書の時代の人たち、あるいは新約聖書の時代の人たちが「時」というものどういうふうに理解していたのか、ということがよく分かります。
私たちは時計が示す時間の流れの中に生きていますが、この時間が例えば「入れ物」であるとするならば、その「中身」のことをここでは問題にしているのです。


泣くとか笑うとか、愛するとか憎むとか、戦うとか、ここで掲げられているようなことは、みんな私たち人間が経験することです。
そういう経験される中身としての時こそが、「時」であると理解をしているわけです。


ですから、ここに書かれているようなことは個人にももちろん当てはまります。私たち一人一人が人生の中で経験する時間の中身です。時間の流れの中で、人生の中で、経験していく、ひとつひとつの時。それがまさに「時」なのです。


けれども、旧約聖書はこの「時」の理解を自然にもあてはめます。創世記からずっと読んでいきますと、自然にもサイクルがあったり、流れがあったり、四季があったり、色々あります。「時」はそういう自然にもありますし、あるいは社会にもありますし、歴史にもあります。
そんなふうに、「時」とは、私たちの感覚では移り行くような、そういう変化の中に立ち表れ、私たちが経験することができる中身のことです。


非常に濃い中身は、プラスのこともあり、嬉しいこともある。あるいは苦しいこと、悲しいこともある。その中身のリアリティそのものが、聖書の賢者たちや預言者たちが理解している「時」ということなのです。


ですからイエスも、神様の御心を取り次ぐ賢者や預言者の後に続いて、しかも賢者や預言者以上の方として、旧約聖書の「時」の理解を共有しながらメッセージを語っておられるわけです。


そして、その記録の一つが今日の聖書箇所であるマタイによる福音書16章1節以下なのです。


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説教のもう一つのキーワードである「しるし」については説教音声を聞いて下さいね o( 'ヮ' )/
コヘレトの3:5にある「抱擁を遠ざける時」という一節の「時」の持つ奥行きについて、なんだか思いを巡らせてしまいました。


今日は礼拝後、皆で賀茂教会名物のうどんを頂きました。


正直言って賀茂教会のうどん(150円)は美味しいです


うどんを食べながら、野本先生が過去の祝会の写真をスライドショーで見せて下さいました。「若い!」「懐かしい!」なんて口々に言いながら盛り上がりました。


もちろんMac


野本先生の前でカメラを持ってはしゃぐSちゃん


私はと言うと、賀茂教会では緊張の初司会だったので、なんだかドッと疲れてしまいました。いつも涼しい顔で司会を引き受けて下さっている役員の方々は凄いなぁ、と思ったのでした。


聖書朗読中
5月1日の週報です。プライバシー保護のため、教会員の名前は記載していません。


教会の帰りに訪れた美玉屋さんの黒蜜だんごを食べながらブログを書いています。
(美味しい〜♡)
こんなに美味しいものばかりある下鴨エリアって素敵。(文責 木谷佳楠)


黒みつだんご、美味しかったです